理事長雑感⑪ いま問われる「共に生きる社会」

障害者の歴史を振り返ると、大きく「排除(exclusion)の時代」、「分離(separation)の時代」、「統合(integration)の時代」に区分することができます。そして、今後「インクルージョン(inclusion、包含)の時代」を志向すると言われています。インクルーシブ社会(inclusive society、共生社会)とは、さまざまな違いを持つ人々が互いに認め合いながら、共に暮らしていける社会です。それは、誰かを排除しない社会であり、私たち障害者関係者の強い願いでもあります。

 さて、今回の衆議院選挙では、外国人労働者・外国人移民の問題が一つの焦点となり、外国人労働者の受け入れを制限しようとする考え方が支持を集めたことに、複雑な思いを抱いた方も多かったのではないでしょうか。

現在、日本に在留している外国人の割合は約3%とされています。その多くは就労や生活を目的とした「在留資格」を持つ人々です。長く日本に住み続けることができる永住資格を取得する人は、決して多いとは言えません。つまり日本は、外国人を「生活を共にする仲間」として受け入れてきたというよりも、労働者不足(特に3K)の職場における安上がりの「働き手」として受け入れてきた面が強いのかもしれません。

 一方、ヨーロッパの諸国を訪れると、多様な人種や文化的背景を持つ人々が共に生活しており、移民や外国出身者の割合が高いことを実感します。これらの国々では「移民・統合政策」として、移住者が社会に定住することを前提に、言語教育や職業訓練、文化理解の促進、差別の防止などを通じ、市民として社会に統合していく政策が展開されています。それに対して日本の現状を見ると、労働政策と移民政策が十分に結び付いているとは言い難く、外国人受け入れは主に労働力確保の観点から進められているのが実情です。

 しかし、日本は世界でも最も急速に人口減少と高齢化が進んでいる国の一つであり、外国人労働者はすでに不可欠な存在となっています。こうした状況の中で外国人労働者の受け入れを単に制限することは、現実的とは言えません。むしろ、外国人が安心して生活し、働き続けることができる統合政策を整備し、日本社会の一員として共に暮らしていく環境を築くことが求められているのではないでしょうか。

 外国人をどのように受け入れていくのかという問題は、日本社会がインクルーシブ社会を本当に目指していくのかを問いかけているように感じます。文化や価値観の違いから戸惑いや摩擦が生まれることもあるでしょう。しかし、それは避けるべきものではなく、互いに理解を深めながら乗り越えていく課題なのだと思います。その積み重ねこそが、共に生きる社会を形づくっていくのではないでしょうか。

 外国人政策を例に挙げましたが、インクルージョンとは本来、あらゆるマイノリティを包み込む理念でもあります。外国人在留者、LGBTの人々、障害のある人々などのマイノリティを排除するならば、社会は分断され、再び分離の時代へと後退してしまうでしょう。マイノリティの人々がどのように扱われているかは、その社会がインクルーシブであるかどうかを測る試金石と言えます。私たちはこれまで、障害のある人が地域の中で当たり前に暮らせる社会を目指して歩んできました。その歩みは、決して平坦なものではありませんでしたが、多くの人の理解と支えによって少しずつ前に進んできました。インクルーシブ社会は、誰かがつくってくれるものではなく、私たち一人ひとりの姿勢によって育まれていくものです。これからも共に生きる社会の実現に向けて、歩みを進めていきたいと思います。 (2026.2.14記)

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