理事長雑感① 「親亡き後の生活」問題を考える
障害者の「親亡き後の生活問題」は、古くて今なお解消していない大きな問題です。40年も前に、ダウン症児を持つある保護者が私に言いました。「私は、我が子の親亡き後の生活は心配していない。日本では、親が亡くなった後、障害児であっても野垂れ死にすることはない」と。まさにその通りでいずれかの施設に入り、生きていくことはできます。しかし、親亡き後の生活を考えるうえで、重要なことは「親亡き後の生活の場所をどうするのか」ではなく「親から離れてどのような生活を過ごすのか」という視点です。大事なことは親を亡くした障害者が適切な処遇・支援を受け、本人なりに豊かな生活(つまり良い状態で生きること、ウェル・ビーング)を送れるか否かということです。
我が子にウェル・ビーングの生活を求めるならば、親が亡くなってからでは遅すぎると考えます。親が元気なうちに、我が子がどのような生活をするのが本人にとって一番なのかを考えて、行動(子どもとの話し合い・相談支援員を通して情報収集・見学・事業所との相談・交渉・本人を含めての決定など)をしたほうがいいでしょう。
「80・50問題」や「老障介護問題」は深刻です。子どもが成人になっても同居して、子どもの介護を親がしている場合、共依存関係(過剰に依存し合う関係)に陥って親と子の双方が自立のきっかけを失う可能性があります。つまり子どもの自立の足を引っ張っているといえるかもしれません。そして主たる介護者である親が年齢を重ね高齢者になると、体調を崩す・病気になる・体が思うように動かなくなるのは当然なことです。すると、近い将来若い時のような世話・介護ができなくなり、親の介護に頼っていた割合が高い障害者ほど徐々にQOL(生活の質)が低下し、従来のような生活ができなくなってしまうことになります。その時点で親亡き後の生活を考えることは遅すぎるということに異論は出されないでしょう。
最近、グループホームに入所した知的障害の青年に、「グループホームの生活はどう?楽しい?」と聞いてみたところ、「寂しい。他の人ともあまり交流はないし」と返ってきました。でも、一人で生活していることに自信も窺えます。寂しいながらも主体的に自分の生活を築いていくことが、自立に繋がります。お母さんに「どうですか」と聞いたら、「あの子ったら、実家という言葉を使うのよね」と気持ちの上で徐々にGHが自分の住むところと意識しているようだと伝えてくれました。私たちだって、家を離れて一人暮らしを始めた時、不安や寂しい思いの経験をしながら段々一人で生活することに慣れていったはずです。知的障害があっても成人になった我が子の自立(親離れ)を考えることは、親の責任ではないでしょうか。子を離すことは親にとっても寂しいことですが、親が子離れをしないことには、子の親離れを促すことはできません。ぜひ、親が元気で動けるうちに、支援者の力を借りて親から離れて生活をすることを経験して、「親亡き後」も安心できるお子さんの生活の在り方・過ごし方を考えてみてください。(2025.5.22記)